年女


今年はねずみ年。子年。私の干支。
そっか、もう3巡目の年女なんだな、私って…。


ブラジル時間の現在1月5日午後2時。今日が私の誕生日なんだけど、日本ではもう今は6日になっている。
アレックスを生んだ時にも思ったんだけど、誕生日って、ブラジルで生まれたらブラジル時間の日付になるんだよなぁ、日本時間なら一日前になるはずだよねぇ。
アレックスは特に祝日でも特別な日でもない日に生まれたからあまり気にしてないけど、これが元旦生まれとか子どもの日生まれとかなら、時間によっては日本とブラジルで違う日付になっちゃうから、微妙に出生時間を操作したくなるかも(笑)


ということで誕生日の今日は、ダンナが珍しく出張に出ているため、子どもたち、もとい、怪獣2匹と過ごしてます。
怪獣(小)が現在お昼寝中のため、ブログでも書こうかという気になった次第。
あぁ、平和な午後のひととき…。彼がくれた私へのプレゼントか。(って、大げさな。しかし何時間持続するプレゼントか)


誕生日を迎えて、特に深い感慨もないけれど、あぁ、これまで36年間、何事もなく元気で平和に生きてこられて本当にありがたいことだと改めて思う。
毎年何事もなく年を重ねると言うことは、当たり前のようで、実は当たり前ではない。
誰もが毎年平和に誕生日を迎えられるわけではない。
人は運命によって生かされている面が少なからずあり、私はたまたま、36歳の誕生日を迎えることができる運命だった。
そう思うと、やっぱり誕生日は尊いもので、こんなことをつらつら書いている自分は、とても幸せだと思う。
誰に対してじゃないけど、もちろん一番は私を生み育ててくれた両親だけれども、その他に私にかかわるすべての人やモノや環境や…運命に感謝である。


なんか大げさなこと書いてるかも、と思わなくもないけれど。
でも本当にそう思うのよ。


去年、このサンパウロで、私の人生観と言うか死生観と言うか…なんて言っていいか分からないけど、間違いなく私の中のある感覚を大きく揺るがす出来事があった。
そのことによって私は、ある意味、覚悟が決まったと言うか。
36歳にして覚悟を決めると言うのも早いのかもしれないけど。たとえば還暦を過ぎたくらいになると、自然と覚悟が決まるものかも知れないけど。
私の中ではすでに覚悟が決まった感覚がある。


人間、本当にいつ死ぬかわからない。
だから、いつ死んでもいいような生き方をしておきたい。
自分が死んだ時、残された人たちになるべく悲しい思いをさせないよう、なるべく辛い思いをさせないよう、できることは準備しておきたい。
そんな風に、具体的に思うようになった。
そんなこと、家庭を持ったら当り前の感覚かも知れないけど、それまではあまり深く考えていなかった。
でも、考えるべきよ。大切な人がいるならなおのこと、考えるべきです。


次の誕生日を迎えることが出来ないまま、無念にも時が止まってしまった人がたくさんいる。
そういう人に対して、無事に年を重ねることが出来た自分を、申し訳なく思ってしまうこともある。
申し訳ない、と思うのはおかしいのかも知れないけど。でも正直、そう感じることはある。


だから、生きている限り、ちゃんと生きよう。
生きてる限り、しっかり生きよう。そうすることが、時が止まってしまった人に対する誠意のような気がするから。
誰かの分まで生きることはできないけど、自分に与えられた時をしっかり受け止めて生きよう。


そんなことを思う、36歳の年女です。



さーて。今夜の誕生日ディナーは息子二人相手にひとりビールで乾杯かな…。メニューはから揚げとポテトかな…。(親子共通の好物だ)
おととい我が家の男三人から贈られたピンクの花を眺めながら…(コイが選んでくれた)。