成功した移民農家

老人ホームを見学した後、モジ・ダス・クルーゼスという町にあるラン農園へ向かった。山の中に家がぽつりぽつりと建つ、北海道の山あいの農業町のようなところだった。幹線道路から農園に向かう私道の行き止まりには、大きなビニールハウスがいくつもあってビックリ。ざっと10棟はあるだろうか、中にはランやらカトレアの鉢がびっしりと!


宮城県からコチア青年(戦後、主に農業指導のために日本から移民してきた若者)としてやってきたハガさんがここの農園主。ブラジルで花の栽培をはじめ、品種改良を重ね、ここまで大きな規模の農場を作り上げた成功者だ(資産ウン億とか?)。しかし成功者だからと言って、成金的な雰囲気も、おごりも全くない。小柄で白い丸首シャツに作業ズボンというその姿は、田舎の農家のオジサンそのもの。真っ黒に焼けた顔と、その顔に深く刻まれた日焼けシワは、うちの実家の父となんら変わりはない。


ハガさんは豪快な語りっぷりがとても魅力的なオジサンだった。ここまでの道のりについておもしろおかしく話すんだけれど、その一言一言が実に深いのだ。農業者でありながらサービス精神も旺盛で、あぁ、この人だから成功したんだろうな…と思わせられる点がいくつもあった。もっともっと話を聞いてみたかったな。


30人のスタッフを雇い、日々出荷しているというカトレアのハウスは壮観だった。いかにもブラジル人が好みそうな情熱的な赤いカトレア、複雑にオレンジ色したカトレア、爽やかなレモンイエローに可憐な白紫…そのバリエーションを生み出したのは、何度も何度も試行錯誤して交配を重ねた成果だという。そういう根気強い、緻密な作業は、日本人だからこそできるものだと思った。


日本移民と一口に言っても、入ってきた時代によって、また環境によって全然違う。いろんなひとがいるなぁ。とても月並みな感想だけど、それが素直な感想。
いろんなひとがいるから、もっといろんなひとに会い、話を聞いてみたいと思った。