渡伯1年


去年の9月5日の朝、妊婦腹を抱えた私はコイとふたりでサンパウロの街へと降り立った。
想像をはるかに超えた大都会ぶりに、空港からの道すがら、ひどく驚いたものだった。
いろんな肌の色、眼の色、髪の色をした人々が、みな一様にポルトガル語を話し、
実にいろんな食べ物を食べていることにひどく感動したものだった。
(金髪のご夫人がお寿司を食べてたり、日本人そのものの顔した若者がおっきな牛肉平らげてたり…初めて行ったショッピングセンターの飲食街で、わたしはなぜか本気で感動した)
ブラジルってすごいところかも…。


そんなことを感じたのも、かれこれもう1年前のことか。
月日の経つのがあまりに早くて、もう、信じられないくらいだ。


成田のホテルでたくさんの友達と過ごした日本最後の夜。
見送りの家族や友達と涙した空港。
3ヶ月ぶりのダンナとの再会を果たした、異国の地。
あれからもう1年かぁ。


この1年、そういえば私は出産したんだった。
そんな大きなイベントすら、遠い昔のことのようだ。
なんだろうね、この時の流れというものは…。


それでも確実に1年経っていて、この1年でずいぶん私も家族も成長したと思う。
買い物するのさえびびっていた私が、いまでは一人で地下鉄に乗り、ポルトガル語で電話をかけたりするのも怖くなくなった。
それはポル語の上達ということより、肝っ玉が大きくなったということのほうが大きいかな。


この国では、自分を信じて、自分がしかるべきアクションを起こさないと、
思うように物事が進まない…ということが多いから、自然とたくましく、肝っ玉も育っていくんだろうな。
言葉ができないからと言ってびびっていたら、何も開かれないものね。


せっかくの節目だから、2年目に向けた目標なんてのを考えようと思ったけど、
やっぱり家族みんなが日々平和で健康に暮らしていくことが、何よりの目標だし、
それは1年目も2年目も変わらない目標だなぁと思ったり。


とにかく、ここまで何事もなく過ごして来れたことに感謝したい。
この、危険と常に隣り合わせの街で、頼れる親や兄弟がそばにいない環境で、
いままで心身ともにつつがなく暮らしてこれたことに、感謝したい。
まだたった1年だけど、私の周りにはたくさんの友達がいて、私を助けてくれている。
遠く日本からエールを送ってくれる仲間もいる。
いつもありがとう。そしてこれからの1年も、またよろしくお願いします。